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「青いプロペラ」対談 南出謙吾×森田あや

質問①:らまのだとはどんな団体ですか。どういう作品創りをしていますか。南出謙吾)らまのだの一番の特徴…とまでいえるかわかりませんが、演出家と劇作家が別であることです。そして、それが男女であること、ちょっと年齢も離れてて、性格もまぁまぁ違う(笑)、関西人と関東人っていうのも違う、なんていうのは、強みになっていると思います。作品の掘り下げ方や描き方で、作演同一でやるより、圧倒的に幅が生まれる。一色を追求するには作演が同じ人の方が突き抜けたものができるのかもしれないけれど、別々ならではの広がりっていうのは、明らかに感じます。僕は自分で演出もするけれど、稽古初日で半分頭の中にできあがっていたりしますが、らまのだの場合は、そこで再び白紙に戻る。そのスリリングさが、上演に現れていると思うのです。 森田あや)なるほど。南出さん、演出するときは稽古初日で半分も出来上がっているのですか。私は初見で読んだイメージみたいなのを稽古場では白紙にしようと試みてますね。稽古初日になるべく明確なものは持ち込まないように努めてます。やはり、目の前の俳優と向き合っていきたいし、本番でもそれは変わらないんです。自分の中だけで完成した目指すゴールとか、確固たるものは本番に入っても持ちたくないですね。でもその分俳優は不安になるんだろうなと思うんですが(笑)。南出さんも本番を見てそんなことを感じたりしてますか? 南出)森田さんの演出は、無色だなと思います。劇作家としてはありがたく、戯曲の良さがちゃんと出てる。そして俳優の人間らしさも。でも、演出の主張はどこまでも隠されている。演出の白さが、戯曲と俳優を際立たせている。演出として前に出たいという助平心は全くなく、とにかく作品が好きなんだろうなぁと、思います。この純粋さが森田演出の一番の特徴だと感じます。 森田)そうですね、好きなんでしょうね。作品が。もっというと戯曲と俳優が(笑)。他人の頭の中にある世界を組み立てるという工程でわたしは作品がもつ可能性をものすごく感じるし、それは作、演出を分けて創作するからこそだと思っています。分からないからこそできることだと。まぁそんな簡単じゃないんですけど。だから、それを探って拾い集めていく稽古が楽しいです。 私もよく男性の本を女性が演出するのがらまのだの特徴ですね、みたいなことを言われますが、具体的にそういう要素が私たちの作品に乗ってるってことなんですかね。南出さんは出来上がった作品を見て、そんなことは感じますか?私はやっぱり男性と女性というのは、感性は絶対違うと思います。創っていて思うのは、理想の女子が出てくる、出てくる…笑。なんか絵に描いたような女子が。それはやはり男性目線なんだろうなと。そして、同じく出てくるわ出てくるわ、ダメな男たちも。こちらは、男性が許してもらいたい、そんな風に振る舞わせてほしいみたいな願望があるってことなのかな。なんて思ってみたり。みんなバカで人間臭くて可愛いなぁーと思いますが。この「馬鹿で可愛いな」もきっと私が女性だから思うのかもしれないですよね。 南出)(男女の件については)僕は女性が演出したという特別な感覚は持たずに見ています。いやでも、作品に柔らかさはあるかな。でもこれはプロセスを知っているから感じることなのかもしれない。女性の書き方は、う~ん、よくわからない。そもそも女心がわからない。そして男性の中でもきっと僕は、わかってない方だと思う。観察なんだと思う。こういうと、こう返してくる、きっと。何を考えてるかはわからないけど、こう返してくる!という積み重ねで女性を描きます。きっと僕の好みなんでしょうね(笑)。でも、理想なんですかね。こんな淡白な女性が!(笑) 質問②:ネクストジェネレーションに選出されたことについてどう思いますか。南出)自分の作品をなにかカテゴライズしてしまうことに抵抗はありますが、でもやっぱり何らかのラベルを貼ったほうがわかりやすい。 らまのだの作品を一言でいえば「ストレートプレイの会話劇」です。 本当にストレート、本当に会話劇。歌ったり飛んだり群唱したり不思議なアーティスティックなできごとは起きない。 少しだけモノローグが入る。そのモノローグも悩みに悩み苦渋の決断で熟考の末、ちょっとモノローグ程度。 絶対に奇を衒うことを目的にしない。必然の中にやむなく変わった手法に行きつくのはよいけれど、 変わったことをするためにやってるような演劇には、したくない。奇を衒うことを徹底的に嫌うなかに、機能美に似た美しさがにじむと、思うの。そこに期待されたんじゃないかと。